次の世代に希望をつくる

「表現の自由を守る」と掲げた政党が、この条文を書くのか。国民民主党のエロ広告規制法案を読む

日々のこと

国民民主党が提出した、いわゆる「エロ広告規制法案」(青少年インターネット環境整備法の改正案)が大きな議論を呼んでいます。

国民民主党といえば、これまで「表現の自由を守る」と繰り返し掲げ、クリエイターやネットユーザーからの期待も集めてきた政党です。その党がこの法案を出してきたことに、驚きと落胆の声が広がっています。

私も条文を通して読みました。読めば読むほど、この落差は深刻だと感じます。すでに論点は出尽くしている感もありますが、私なりに順番に整理していきたいと思います(長文です)。

大手のデジタルプラットフォーム事業者を国が指定し、その上に表示される広告に「青少年有害情報」が含まれる場合の閲覧防止措置について、実施要領の公表、国民からの通報受付体制の整備、実施状況の年次公表を義務づける。

大きなところからいくと、これが法案の本体です。

ネット上では「殺人や処刑の描写を規制すると書いてある」「コナンもドラゴンボールも規制できる」といった声も飛び交っていますが、ここは少し整理が必要です。

殺人や処刑といった例示は、2008年にできた現行法の「青少年有害情報」の定義にもともと置かれているもので、今回書き加えられたわけではありません。

また、義務の対象はあくまでプラットフォーム上の「広告」で、作品そのものを取り締まる建て付けにはなっていません。

しかし、だからこの法案は大丈夫だ、とはまったくなりません。むしろ条文を正確に読んだときにこそ、本当の問題が見えてきます。

第一に、「エロ広告に特化した内容」という提出側の説明は、条文と一致していません。

法案が義務の基準に使っているのは、いま述べた現行法の「青少年有害情報」という概念です。

その定義には性的な情報だけでなく、殺人や処刑の陰惨な描写など残虐な内容も含まれます。

条文の仕組み上、対応義務の射程は性的な広告に限られないのです。ミステリやホラー作品の広告が対象に入ってくることは、読み方として普通にあり得ます。

エロ広告に特化したいのであれば、対象を性的な情報に限定する規定を一本置けば済む話です。それをしていない以上、「特化している」という説明は条文とズレている。

看板と中身が違う法案は、それだけで危険信号です。

第二に、より深刻なのが第23条の7です。

事業者は「青少年有害情報に準ずる程度に青少年の健全な成長を著しく阻害するおそれが大きいと認められる情報」が広告に含まれる場合にも、同様の対応に努めなければならない、とされています。

「準ずる程度」とは何か。定義もありません。例示もありません。基準を政省令に委ねる規定すらありません。

何が該当するのか、条文のどこを読んでも分からず、判断はすべて事業者に丸投げされます。

思い出したいのは、どん兵衛のCMです。法規制など何もない民間のCMですら、批判が集まれば取り下げに至るのが今のネット社会です。

そこに「基準は示さないが対応に努めよ、実施状況は毎年公表せよ」という法律が乗れば、事業者の行動は一つしかありません。

迷ったら落とす、です

努力義務だから大丈夫、という説明は逆です。義務なら「どこまでやれば足りるのか」という基準の議論が必ず起きます。

努力義務は、その議論すら起きないまま、忖度だけが静かに積み上がっていく仕組みです。

第三に、民間団体の位置づけです。

改正案は、国や自治体が支援に努める民間団体のリストに「プラットフォームの対応状況を第三者の立場で評価する団体」を追加します。

認定制度ではなく、評価に法的な力を持たせる規定もありません。その意味で「検閲機関をつくる法案だ」という批判は言い過ぎかもしれません。

ただし、構造をよく見てください。

事業者には、基準の分からない努力義務がかかる。対応状況は毎年公表しなければならない。そして、その対応を「評価」する民間団体を、国が支援対象として法律に書き込む。

この三つが揃えば、事業者は評価団体の物差しに合わせにいくしかなくなります

法的権限はゼロなのに、その団体の判断が事実上の審査基準になっていく。誰も権限を与えていないのに、権限が生まれてしまう。

しかも行政処分と違い、民間団体の評価には不服申立ての手続がありません。おかしな線引きがされても、争う場すらないのです。

「対象は広告だけだから作品は無事だ」という整理も、実務を知れば楽観的すぎます

いまのコンテンツ産業で、広告は作品のオマケではありません。漫画アプリの広告は作中のコマそのものですし、ゲームはプレイ画面がそのまま広告になります。

作品の一部を切り出したものが広告であり、それが読者との事実上唯一の接点になっている領域は広い。

広告に出せない表現は、届かない表現になりえます。

何が「出せない」のかが、基準なき努力義務と民間団体の評価で決まっていくなら、制作現場は最初から「広告に出せる絵」を逆算して描くようになる。

規制の名宛人は広告でも、萎縮するのは作品づくりの上流です。

これらの問題は、表現規制の議論に少しでも通じていれば、条文を書く段階で必ず気づくものです。

不確定概念による義務づけが萎縮を生むこと。公表義務と外部評価の組み合わせが事実上の基準をつくること。広告への規制が作品に波及すること。

どれも表現の自由をめぐる論争で、繰り返し指摘されてきた古典的な論点です。

「表現の自由を守る」と掲げてきた政党が、これらの論点を一つも条文で手当てせずに法案を出してきた。考えられる可能性は二つしかありません。

分かっていて出したのなら、掲げてきた理念とのダブルスタンダード。分からずに出したのなら、表現の自由という論点への無知か無関心です。

どちらであっても、「表現の自由を守る政党」を名乗る資格が問われる事態だと私は思います。

表現の自由を守るとは、スローガンを唱えることではありません(自戒を込めて)。規制を広げる余地のある条文を前にしたとき、その余地を一つひとつ潰していく地味な作業のことです。

今回の条文からは、残念ながらその作業の痕跡が見えません。

最後に、手続の問題です。

これは議員立法です。省庁の実態調査も、審議会も、パブリックコメントも、内閣法制局の審査もありません。今回の条文の詰めの甘さは、このプロセスの欠落と無関係ではないでしょう。

AV新法で経験したはずです。「子どもを守る」という看板の議員立法に疑問を呈すると、それだけで不見識扱いされる。審議は形骸化し、短期間で成立する。

ところが一度できると、改正は提出議員の顔を潰す行為とみなされ、誰も手をつけない。つくるときは爆速、直すときは不動。

検証なき善意の立法がいちばん厄介なのです。

子どもが意図せずアダルト広告を目にする問題は実在し、不断の対応は必要です。だからこそ、実態調査とヒアリングを経た閣法で、対象の範囲を条文上きちんと画定した上でやるべきです。

フィルタリングや年齢確認など、表現の自由を最も傷つけない技術的手段の検証が先であることも言うまでもありません。

条文は嘘をつきません。掲げてきた理念と提出した条文の、どちらが本当の姿なのか。

ネットでいま起きている議論は、単なる過剰反応やスルーして良い一過性の「炎上」ではありません。

ぜひとも国民民主党さんは、本法案に対する一連の指摘を咀嚼していただき、撤回なり修正なりの対応がなされることを僭越ながら期待したいと思います。

表現の自由を尊ぶ政界浪人より。

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音喜多駿

おときた駿
前参議院議員(東京都選挙区) 42歳
1983年東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ社員を経て、2013年東京都議会議員に(二期)。19年日本維新の会から公認を受けた参院選東京都選挙区で初当選。21年衆院選マニフェストづくりで中心的役割を担う。
三ツ星議員・特別表彰受賞(第201~203国会)
ネットを中心とした積極的な情報発信を行い、ブログを365日更新する通称「ブロガー議員」。ステップファミリーで三児の父。
著書に「ギャル男でもわかる政治の話(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」、「東京都の闇を暴く(新潮社)

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