もっと、新しい日本をつくろう

3.11東日本大震災から、2年経って

日々のこと

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3月11日の朝、いつものように駅頭に経って
マイクでしゃべりながらチラシ配りをしていたのだけど、

「今日くらい、静かにできないのかっ!」

と道行く方からお叱りを受けまして…。

それは確かにそうだなと思い、午後の街頭に出る予定をやめて
テレビを見ながら事務作業をすることにしました。

石巻、南三陸、釜石、大槌、陸前高田、小名浜に南相馬…

テレビで出てくる場所は、たいていは一度以上いったことがあって。
それぞれの土地に、それぞれの思い入れがあります。

あの3月11日から、きっと沢山の人が

「自分にできることはないか?」

と考えに考えて、いろんな想いを行動に移してきたと思います。
実際に東北に行った人、義援金を送った人、手紙を書いた人…

自分に関して言えば、何度なく足を運んだ東北の地で
見てきたことや感じた想いが、いまこの政界への挑戦の
直接のきっかけ、最後の一押しとなったことは間違いありません。

決断できない政治のせいで、住む場所も将来もわからない被災者の方々。
行政の紋切型支援で生まれた、仮設住民と在宅住民の格差と、不和や対立。
未だに苦しむ人が多くいる状況を尻目に、使い切れない復興予算…

被災地の支援現場の最前線でこうした状況に直面するために、
日本の政治の限界を痛感しました。これだけの事態に直面しても、
変わらない古い政治と政局争いに終始する古い政治家たちに、心底絶望をしました。

こんな現状を、政治を、一刻も早くなんとかしてやらなきゃ。

そして震災で親族や友人を亡くした人々の、想いと言葉たち。

「息子は将来、○○になりたいと言ってた。でも、それはもう叶わない」
「自分たちだって、明日はどうなるかわからない。毎日を、精一杯生きなきゃ」

こうした言葉の数々に、

『いつかは』、政治家になりたい」
『将来的には』、日本の政治を変えてやろう」

そんな風に考えていた自分が恥ずかしくなり、
また今回の災害で亡くなった人たちに申し訳ないと思いました。

もし自分が、今もなお苦しむ被災地の人々のためにできることがあるとすれば。
亡くなった方々の「いつか」「将来」をすべてこの身に受け止めて、
「いますぐ」政治の世界に挑戦することなんじゃないのか?

おこがましいかもしれないけれど、僕はそう思いました。
その時から、最短距離で、政治の世界に飛び込む道を模索し続けました。

そしてあの震災から丸2年が経って。
僕はいま、都政に挑戦する立場にいます。

2年も経って、まだその入り口にもいないことは不甲斐ないけれど。

「東京から変えていく。変えられる理由がある。」

自分が選んだこの闘いの舞台が、政治を変えるきっかけになると信じて。
今の立場から被災地域のためにできることを、これからも続けて参ります。

改めまして、あの震災で被害に遭われた方の
ご冥福を心よりお祈りするとともに、今もなお避難生活を続ける
被災地域の方々に、一刻も早い平穏が訪れることを願ってやみません。

2013年3月、東日本大震災から2年後の日に。
音喜多駿

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音喜多駿

おときた駿
参議院議員(東京都選挙区) 40歳
1983年東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ社員を経て、2013年東京都議会議員に(二期)。19年日本維新の会から公認を受けた参院選東京都選挙区で初当選。21年衆院選マニフェストづくりで中心的役割を担う。
三ツ星議員・特別表彰受賞(第201~203国会)
ネットを中心とした積極的な情報発信を行い、ブログを365日更新する通称「ブロガー議員」。ステップファミリーで三児の父。
著書に「ギャル男でもわかる政治の話(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」、「東京都の闇を暴く(新潮社)

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