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ナチス・ドイツによって地図から消された場所。リディツェ村を知っていますか?

日々のこと

こんばんは、音喜多駿(日本維新の会 参議院議員 / 東京都選出)です。

実質チェコ・プラハ一日目の今日はこんなスケジュールでした。

10:00~ Sinopsis(シンクタンク)意見交換
12:00~ 日本大使館にてブリーフィング
13:30~夕刻 リディツェ村(プラハ郊外)訪問
18:30~ IPACレセプションパーティー

本格的なIPACプログラムは明日からということで、今日はやはりリディツェ村について書かせてもらいたいと思います。

プラハ郊外にあるリディツェ村を知っている方はいらっしゃるでしょうか。私も今回の訪問が決まるまで、あまり詳しいことは存じませんでした。

第二次世界大戦中の1942年。側近を暗殺されたことに激怒したヒトラーは、徹底した犯人探しと報復を命じます。

そこで目がつけられたのがリディツェ村でした。

かつて村があった場所。

実際にはリディツェ村には犯人などおらず、非常に脆弱な証拠によってスケープゴートとして祭り上げられ、500名いた村人はほぼ全員が虐殺されるか強制収容所に送還(後に多くが死亡)。

男性はその場で射殺され、小さな子どもたちは母親から引き離され、その多くは強制収容所のガス室などで帰らぬ命となりました。

この蛮行は世界に轟き、チェコ国内のみならず国際世論が激怒。

ナチスドイツに対する世界の見方と対応が大きく変わる出来事になり、ナチスが敗戦に向かっていくきっかけの一つになったとも言われています。

亡くなった82名の子どもたちをオマージュした82体のブロンズ像。近くで見ると大変なインパクトがある、世界的にも有名な作品です。

このうちの一体は日本人の芸術家が作成して寄贈したものです。

また、新たにリディツェ村の再建を期して作られたバラ園の近くには、リディツェ同様に第二次大戦で多くの人々が命を落とした街として、広島に対する慰霊碑も作られています。

毎年6月に行われる慰霊祭では、日本人学校の生徒たちが鎮魂歌を歌うことが慣習となっているそうです。

こうした結びつきがあるにもかかわらず、外務省や現地ガイドによると

日本から国会議員が現地を訪れたのは聞いたことがない。初めてかもしれない

とのことで、それが本当ならば、少し政治的な意味でも貢献ができたかもしれません。

多くの人が行くことも、立場ある人が行くことも、ともに重要なことですから…。

滞在は2時間ほどでしたが、回ったあとに残ったのはなんとも形容のしがたい、ずっしりと重い疲労感。

カンボジアのキリング・フィールドを訪ねたときもそうでしたが、こういう場所にくるとものすごいエネルギーを消費しますよね…。

なお、この暗殺事件からリディツェ村の悲劇までを描いたローラン・ビネによる著名な小説があります。

作者の視点と叙述が入り交じるという独特の手法が読者を選ぶ作品ではありますが、後半のクライマックスからは一気読み間違いなし。

ナチスドイツの、戦争の理不尽さがこれでもかと伝わってくる名作です。ぜひご一読を推奨します。

悲劇を忘れずに語り継ぎ、戦争を二度と起こさせない。それが私たちにできること。

この場所に訪れられたことに感謝の気持ちを抱きつつ、経験と感じた想いを無駄にしないよう努力を重ねてまいります。

動画でもコメントしました

明日からはIPAC・対中政策のレポートを致します。

それでは、また明日。

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音喜多駿

おときた駿
参議院議員(東京都選挙区) 40歳
1983年東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ社員を経て、2013年東京都議会議員に(二期)。19年日本維新の会から公認を受けた参院選東京都選挙区で初当選。21年衆院選マニフェストづくりで中心的役割を担う。
三ツ星議員・特別表彰受賞(第201~203国会)
ネットを中心とした積極的な情報発信を行い、ブログを365日更新する通称「ブロガー議員」。ステップファミリーで三児の父。
著書に「ギャル男でもわかる政治の話(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」、「東京都の闇を暴く(新潮社)

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