今回はすこし趣向を変えて、
画像中心のリポートなんかをば。
ふと思い立って、三連休の空き日を利用して
飯館村(福島県南相馬郡飯舘村)に行ってきました。
てっきり部外者は立ち入れないのかと思い込んでいたのですけど、
実は案外と普通に入れるということを知り、物見遊山との批判も覚悟で
その実態をこの目で見るべく向かったわけです。と最初に言い訳。。
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ほとんどの方はニュース等でご存知かと思いますが…
飯舘村は原発から30km圏内ではありませんが、風向きの関係で
福島原発から大量の放射性物質が降り注いでしまった悲劇の自治体です。
放射線量の議論が紆余曲折あった末、多くの村民も反対する中、
原発事故から実に二ヶ月後に「計画的避難区域」に設定されることが決定。
6000人の村民全員が今は村外で避難生活を送っています。
近くの幹線道路までは普通に車の往来があるものの、
道を一本曲がって飯舘村に入ると、途端に人気も交通量もなくなります。
事前情報は色々と調べて覚悟をして行きましたが…
実際に目で見て、肌で体感した飯舘村の中は
筆舌に尽くしがたいものでした。
地震や津波の直接被害があったわけではないので、
街並みは普通そのもの。でも、お昼時だというのに
当然のことながら人の気配は一切ありません。
友人と三人で街(村)の中を歩いていたのですが、三人が一斉に黙ると
本当に物音ひとつしなくなり、ただヒグラシの鳴く声のみが響き渡るその状態には、
まだ明るいのに鳥肌が立つほど。
人の手が入らないと、側溝とかもあっという間に雑草で埋もれてしまうんですね…。
憩いの場であったであろう、公園もこんな有様。
なかなか綺麗な建物である村役場の敷地内。
しかし人が一切通らなくなったアスファルトからは、雑草が伸びています。
水などのインフラは、そのまま生きているようでした。
役場の入り口には、モニタリングポストも。
数値は0.75前後を推移していましたが、東京のおよそ15倍の数値。
ただこれでも、役場の周りは後述するように集中除染地帯であり、
山や田畑の中ではこの数十倍を記録する場所もあるそうです。
なお、村役場のとなりにはもともと特養ホームだった建物があり、
ここだけには多くの人たちの気配と車がありました。
「見守り隊」と名付けられた村民の方々が交代で常駐し、
村内のパトロールや保全を定期的に行なっているそうです。
使用されなくなってしまったポスト。
2011年の4月までの情報は貼りだされていた掲示板。
そして村役場の近くには、震災後に建てられたと思われる
プレハブ小屋が集中している地帯がありました。
「え、仮設住宅?!誰が、何のために??」
と思い近づいてみていると、
成程…
どうやら除染作業に従事する方々の拠点らしく、
この日は日曜日のため人はいませんでしたが、
平日にはある程度の人が常駐している模様。
そして見守り隊が常駐している特養ホームや
村役場の近くを中心に、除染作業を行なっているようです。
何事も、行ってみないとわかりませんね…。
そして今回、もっともショックだったのは、田畑。
美しく、村に恵みをもたらしていたであろう田畑は
その原形も留めぬほど、荒れ果てた耕地へと姿を変えていました。
一度こうした状態になってしまった農地が再び
恵みをもたらすようになるには、多大な時間が必要だそうです。
考えさせられるのは、飯舘村は原発立地体ではないので
いわゆる「原発マネー」の恩恵も一切受けず、
原子力と無関係の農業中心の生活をしてきたということです。
二番の歌詞が、胸に突き刺さります。
原発に故郷を追われ、恵みをもたらす農地を放棄させられ、
荒れ果てていく土地を見ることしかできない
村民の方々の心中はいかばかりでしょう…。
わずか2時間あまりの滞在でしたが、
心に大きなしこりを残したまま、我々は飯舘村を後にしたのでした。
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そして田畑の状態と並んで、もう一つ最も衝撃的だったのは、
帰り道に見た光景と事実でした。
飯舘村の隣の自治体は川俣町なのですが、行政区分を一つ跨いだこちら側では、
飯舘村から5キロと離れていないのに普通に人々が生活し、
田畑も手入れが行き届き、美しい光景を残しているのです。
正直なところ、単純な放射線量だけの国際基準から照らし合わせれば
このあたりまで(むしろ福島全域が!)避難区域になっていても
おかしくないわけです。
もちろん、政治のリーダーは放射線量だけでなく
諸々さまざまな状況や条件を考えて決定を下します。
でも…
行政区分ひとつで。
政府が「ここ!」と決めた線引で。。
残酷なまでに、目の前の光景が二分されていること。
この現実が、重く心にのしかかってきます。
原発の維持・放棄を含めたエネルギー政策は複雑で難解な問題を多々含み、
今後どういった方向に向かうかはまだ予断を一切許さない状況です。
僕は原子力政策には比較的中立な立場の人間ですが、
今後(たぶん)政治の世界に関わっていくものとして、
一つの事故で、何万人もの生活と故郷を一瞬にして奪うこと。
非常事態の政治の決定は、とてつもなく大きく、重い結果と責任を伴うこと。
このことには、常に自覚的でありたいと強く思ったのでした。
飯舘村の人々は、故郷に帰ることができるのか。
現在の原発の状況と除染技術ではそれは極めて困難と言われており、
また村を実際に見た感想としても、難しいのではないかと感じたのが正直なところです。
それでも。
劇的に事故状況や科学技術が改善して。いつか彼らが故郷を取り戻し、
美しい山河で暮らすことを、僕は願わずにはいられません。
では、また次回。
おときた駿
参議院議員(東京都選挙区) 41歳
1983年東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ社員を経て、2013年東京都議会議員に(二期)。19年日本維新の会から公認を受けた参院選東京都選挙区で初当選。21年衆院選マニフェストづくりで中心的役割を担う。
三ツ星議員・特別表彰受賞(第201~203国会)
ネットを中心とした積極的な情報発信を行い、ブログを365日更新する通称「ブロガー議員」。ステップファミリーで三児の父。
著書に「ギャル男でもわかる政治の話(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」、「東京都の闇を暴く(新潮社)」
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