夏休みを利用して、沖縄に行ってきました。
台風の迫り来る最中、1日だけ写真のような青空に出会えまして。
まあ政治家を志すものとして、今回はビーチリゾートもそこそこに
基地問題や戦争当時の様子などの勉強を目的に行ってたわけです。
…ほんとですよっ!
沖縄といえばリゾート、癒しの観光地である反面、
政治的には非常に複雑な問題を抱えた地であることは皆さんご存知かと思います。
そんな沖縄について勉強する中で、基地問題などメジャーでない部分で
少し興味深いものを発見したので、今日はそのあたりについて書きたいと思います。
■
今年は沖縄返還50週年にあたる年で、
政治的には沖縄は1972年まで日本ではありませんでした。
なのでその前後の時期まで、本土の制度や法律が及んでいない部分があったわけです。
このことが意外な部分にも影響を及ぼし、今日まで尾を引いているようです。
そう、それが昨今ずっと話題の「年金」です。
国民年金が導入されたのは1961年。
この時、沖縄はまだ日本ではなかったのですね。
このために紆余曲折があり、沖縄で年金制度が始まったのは1970年になります。
国民年金を受け取るためには、20歳~60歳までの間に
最低25年間、支払を続けなければなりません。
ところが沖縄では始まったのが9年も遅いわけですから、
年金スタートから真面目に払っていても25年に到達できない世代が出てくると。
「同じ日本国民なのに、不公平ではないか?」そういった意見が聞かれるようになります。
そこで制定されたのが、「沖縄特別措置」です。
これは1961年~1970年の間、沖縄に住んでいた期間が証明できれば
その期間中の年金支払いは免除する(納めたと見なす)というものです。
納めていないのに「見なす」ことが逆に公平性を阻害するという見方も
ないわけではないと思いますが、歴史的にいろいろな事情を抱える沖縄の方々に対し、
これはそれなりに適切な処置だったのではないかと個人的には思います。
ところが、問題はここからです。
この年金の「沖縄特別措置」。
どうやらその存在がそれほどメジャーではないらしく、
当の沖縄の人たちの中にも知らない人が多いようなのです。
いわんや本土の人間をやということで、
僕も年金についてはひと通り勉強したつもりでしたが、
この法的措置についてはまるで知りませんでした…。
そして年金保険事務所も故意か過失か、この特別措置を
沖縄の該当者に積極的に告知しなかったという説があり、
「措置の存在を知らず、もう収め続けても25年に到達しないと諦め、
国民年金から途中で脱退してしまった」
という沖縄県民を少なからず産みだしてしまった、と。
(参考文献:新書沖縄読本/講談社現代新書)
「知っていれば、あと◯ヶ月年金を納めればもらえるようになったのに!」
上記の参考文献の中では、そんな沖縄県民のオジィを
助けるべく奮闘する著者の姿が描かれています。
この本の中の事例では、最終的には年金保険事務所が
「本人が脱退を決める前に、職員が充分な説明をしなかった」というミスを認め、
脱退を取り消しさかのぼって年金を納める特例を認めたそうです。
このような事情も関係があるのかわかりませんが、
沖縄県民の「年金」に対する信頼度は極端に低く、国民年金の納付率を見ると
全国平均の62%に対してなんと40%(2009年データ)。これは全国でも最下位のようです。
■
少し話しは広がりますが、こうした事例一つからでも見えてくるのが
「国家」と「沖縄」の本当に複雑で難しい関係です。
かつては琉球として独立国家であり、
「琉球処分」後に日本に組み込まれてからも
どこか同一になりきらなかった沖縄。
一時はアメリカにまでも帰属し、そのために法制度が複雑になり
年金ひとつにしてもこのような特別措置が生まれたわけですけれど、
「年金への信頼関係」を見ても、沖縄の方々は少し違う感覚を持っているのかもしれません。
言葉にするのは難しいのですが…
僕らはブーブー文句を言いながらも自分たちが当然「日本国民」だと思ってて、
「日本」が最終的にはなんとかしてくれると思っている。
年金などの社会保障システムは、その「日本」が運営するシステムとして
とりあえずは当たり前のように目の前にある。だからまあ、過半数の人は
心配しながらも大人しく納める側に回る。
ところが沖縄の人にとってそれは、もしかしたら当たり前じゃないのかもしれない。
僕らが思っている以上に沖縄の人たちはもとから「国家」なんてものを信用してなくて、
それが40%という低い年金納付率につながっているのではないか…。
なんてことを、ちょっと感じたりするのです。
このあたり、非常に繊細かつ難しい問題なので、
いずれ改めて必ず取り上げたいと思います。
また、僕は年金というのは非常に優れた
今世紀最大の制度的発明の一つだと思っているのですが、
50年、100年を広い国家単位で運営する制度って
本当に複雑怪奇で難しいものなのだな、と改めて思わせられる事例でした。
■
そんなこんなで観光も含めて非常に充実していた沖縄滞在。
もっともっと勉強して、いつか沖縄についてもっと語れるようになったら、
(その時はもしかして政治家として?)必ずまた再訪したいと思います。
その日までしばらく、バイバイ沖縄!
台風15号には、くれぐれもお気をつけて…。」
おときた駿
参議院議員(東京都選挙区) 41歳
1983年東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ社員を経て、2013年東京都議会議員に(二期)。19年日本維新の会から公認を受けた参院選東京都選挙区で初当選。21年衆院選マニフェストづくりで中心的役割を担う。
三ツ星議員・特別表彰受賞(第201~203国会)
ネットを中心とした積極的な情報発信を行い、ブログを365日更新する通称「ブロガー議員」。ステップファミリーで三児の父。
著書に「ギャル男でもわかる政治の話(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」、「東京都の闇を暴く(新潮社)」
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