震災後の反原発デモから始まり、フジテレビへの反韓流デモやら花王への不買運動デモやら、
最近ではウォール街のデモに触発されて日本でも「格差反対デモ」が起こりました。
2011年は日本のデモ元年なのでしょうか?嫌ですね。
僕もこうしたコラムやTwitterなどで数々の社会に対する提言や改革を叫んではおりますが、
端的に言ってそういったデモの類は大嫌いです。本日はそんな理由を語りましょう。
まずもって日本のデモの参加者たちは、何を思ってデモを行なっているのでしょうか。
一口に「デモ」と言っても、今年中東で巻き起こっているデモと日本のデモではわけが違います。
僕は中東の一部の国でのデモは「全然アリ」だと思っています。
彼らには表現の自由も、民主的に政治に参加する権利もありません。
そんな中でのデモというのは表現の最終手段であり、ある種「決死の覚悟」を伴った政治行動なのです。
翻って日本はどうでしょうか?
僕らには表現の自由もあれば、成人であれば誰でも一人一票という参政権を持っています。
社会を変えたいと願うなら、まず真っ当な手段で社会に変化を訴えるべきです。
僕は賭けてもいいですが、デモ参加者の半分以上はロクに選挙にも行ったことがない人たちでしょう。
(そして恐らく本当に生活が困窮している方は、逆にデモになど参加する余裕がありません。)
まあこういうことを書くと、「デモはその権利が憲法で保証された、真っ当な手段です!」
とか言われそうですが、基本的には日本のように国家がまともに機能している国では
デモに参加する時間を労働や勉強に当てた方がよっぽど有意義だと思います。
日本のデモの最大の問題点は
・明確な問題意識がない
・ゆえに明確なイグジット(ゴール、目的)もない
という点につきます。要は、ヴィジョンも覚悟もないんです。だから色んな主張や怪しげな団体が混じる。
ちなみにこれは日本に限った話しではなく、ウォール街のデモも迷走しているようですが。
所詮、先進国の(世界的に見れば)富裕層に位置する人々のお遊びの域を出てないのですね。
特にイグジット(EXIT)を設定せず「反対!反対!」と叫ぶデモでは
自己満足の謗りを免れることはできないでしょう。
自由主義経済や民主的政治が機能している国でのデモ行為の行き着く先は、8月のロンドン暴動です。
デモは一種の「暴力行為」ですから、安易なパフォーマンスは暴動すら巻き起こす可能性があります。
つまり、百害あって一利なし。
ここまで読んでもデモに参加したいという方。
「自分には明確なヴィジョンもイグジットも、覚悟もある!」
という方がいらっしゃるなら、デモを主催されると良いでしょう。
しかしながら、その覚悟が本物であれば、おそらくそのデモで誰かが命を落とします。
それでも、デモをやりますか?
おときた駿
参議院議員(東京都選挙区) 41歳
1983年東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ社員を経て、2013年東京都議会議員に(二期)。19年日本維新の会から公認を受けた参院選東京都選挙区で初当選。21年衆院選マニフェストづくりで中心的役割を担う。
三ツ星議員・特別表彰受賞(第201~203国会)
ネットを中心とした積極的な情報発信を行い、ブログを365日更新する通称「ブロガー議員」。ステップファミリーで三児の父。
著書に「ギャル男でもわかる政治の話(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」、「東京都の闇を暴く(新潮社)」
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