先日twitterにこんなポストをしたところ、結構な反響がありました。
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「これまでの日本は放蕩に電気や資源を使い過ぎた。これからは節制して、清く貧しく慎ましく生きましょう。借金も増えるけど、返済よろしくね。」と60過ぎのおっちゃんに思いつきで決められることに、若者はもっとブチ切れていいと思う。僕は怒ってます。
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これは主に電気(エネルギー)問題について投げかけた意見です。僕は脱原発とは距離を置く立場の人間ですが、原発がなくても実は(埋蔵電力とかで)電力が足りたり、自然エネルギーで代替が本当に効くというのならそれはそれでいいんじゃないかと思います(無理だと思いますけど)。
ただ懸念しているのは、脱原発チックな発言の中には時として
「現代社会は放蕩に資源を使って環境を傷つけてきた。自然に還ろう」
「これからは自然とともに歩む循環型の社会を目指そう」
「経済成長や科学技術の過剰な追求は慎むべきだ」
という「反近代」「反テクノロジー」とも言える思想が混じっていることです。とか思っていたら、我が国の首相がトンデモない発言をしてやがりました。
首相「「神が人に知恵を与えて科学技術が蓄積された。それが良かったのかどうか」
http://s.nikkei.com/njmb8O
知識や経験の乏しい少年少女たちが平和・平等・自然などの「ハッピー」な思想に染まるのは成長過程における熱病・通過儀礼だと思いますが、こういう
「自分たちは散々経済成長とテクノロジーの発達で恩恵を授かってそこそこ豊かになり、蓄えもできたので老後までほぼ確実に逃げ切れる世代」
は半ば本気でこういうことを信じ込んでいるので本当にタチが悪いです。(今日は敢えて「怒れる若者」風に書きます)
僕はコレ系の「もう日本は十分豊かになったから、経済成長(もしくは技術開発)の追求はやめて自然体で暮らしましょう」という意見にまったく賛同できません。
社会派ブロガーのちきりんさんもおっしゃっていましたが、経済成長を諦めて船が沈み始めたら、真っ先に海に浸かるのはその底辺に位置する人々だからです。
昭和(30年前くらい?)に戻ればいいと平気で言い放つ人がおりますが、そのころの水準(人口や食糧事情、治安や安全保障など)にソフトランディングするまでに、どれだけの経済的弱者が地獄をみることになるでしょう。現在裕福でそこそこ蓄えのある方には、ちょうどいいレベルになるのかもしれませんけどね。
そしてこの「弱者」には、ほぼすべての若者や子どもたちが該当します。
貯蓄もなく(ないどころか、GDP2倍以上の国債を先送りされている!)これからまだまだ経済成長が必要な世代が、それをストップされたら待っているのは絶望的な貧困です。
いままで放蕩に資源を使い尽くし環境を傷つけてきた既得権益世代の贖罪意識に、なぜ将来世代が犠牲にならなければならないのか?
安易に「自然」や「環境」(もしくは「人の命」)などという美辞麗句を弄ぶ人々の眼中には、こうした社会的弱者や将来世代のことなど入っていません。
そんな人々(≒富裕高齢層)が大きな政治力を持ち、時に国の未来の舵取りに影響を与えていたのが我が国の現状なのですが、とうとう首相の口からおおっぴらに語られるまでになってしまいました。
これからのエネルギー施策を含む「成長戦略」を描く土台に、こうした「反近代」「反成長」「反テクノロジー」という思想が流れることは、将来世代にとってかなり危機的な状況です。
「将来にツケを回さない」「10万年後の安全」を本当に求めるならば、若者たちが強く危機感を持ち、より大きく声を上げていくことが求められる…そんなことを考える毎日なのです。
おときた駿
参議院議員(東京都選挙区) 41歳
1983年東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ社員を経て、2013年東京都議会議員に(二期)。19年日本維新の会から公認を受けた参院選東京都選挙区で初当選。21年衆院選マニフェストづくりで中心的役割を担う。
三ツ星議員・特別表彰受賞(第201~203国会)
ネットを中心とした積極的な情報発信を行い、ブログを365日更新する通称「ブロガー議員」。ステップファミリーで三児の父。
著書に「ギャル男でもわかる政治の話(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」、「東京都の闇を暴く(新潮社)」
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