退任を目前に控えた石破茂総理が、「戦後80年見解」を在任中に発表する方向で調整に入ったと報じられました。8月15日の終戦の日には談話を出さず、今になって「未来志向のメッセージ」として自らの手で発表したい意向だということです。
私はこの動きに、強い違和感と懸念を抱かざるを得ません。
■ 歴史的談話を「自己顕示」に使うべきではない
戦後50年、60年、70年と続いてきた首相談話は、その時代の日本の姿勢を内外に示す重要な節目です。しかし、石破総理は今年の終戦の日に閣議決定の談話を出さず、歴代の積み重ねを途切れさせてしまいました。
それにもかかわらず、自身の退任が決まった途端に「やはり自分の言葉を残したい」と動き出すのは、歴史に名を刻みたいという自己顕示欲の発露に他なりません。政権の末期に、国益ではなく「自分のレガシー」を優先させることは断じて許されないでしょう。
■ 国民に向き合うどころか「政治ショー」に過ぎない
石破総理は国連総会での発表案を見送り「国民向け」と強調していますが、それは果たして国民が求めているものなのか。国民が知りたいのは「次の政権でどう戦後80年を総括し、未来へつなぐのか」であって、退任間際の一政治家が「最後にひとこと」と言い残すことではありません。
むしろこれは、歴史的意義を伴うべき戦後談話を「政治ショー」へと矮小化する危険性を孕んでいます。
■ 戦争の記憶を守るのは「次の政権」の責任だ
戦争の記憶を風化させないこと、二度と戦争を起こさないという決意を示すことは、間違いなく重要です。しかしそれを担うのは、今後数年間にわたり政権を託される新総理であるべきです。
退任が決まっている総理が、あえて「自分が言わねば」と振る舞うことは、かえって重みを失わせ、国際社会にも誤ったメッセージを発しかねません。
結論
石破総理は、戦後80年という節目を自らのレガシーづくりの道具にしてはなりません。談話や見解は、国民の未来に責任を持つ新しい政権が、国会や国民と議論を経て形作るべきものです。
退任を決めたリーダーに求められるのは、静かにバトンを渡し、次の世代に道を開くこと。最後の最後に「私が歴史に名を残す」という自己顕示に走るのは、国民に対する裏切りであり、政治の軽視であります。
おときた駿
参議院議員(東京都選挙区) 41歳
1983年東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ社員を経て、2013年東京都議会議員に(二期)。19年日本維新の会から公認を受けた参院選東京都選挙区で初当選。21年衆院選マニフェストづくりで中心的役割を担う。
三ツ星議員・特別表彰受賞(第201~203国会)
ネットを中心とした積極的な情報発信を行い、ブログを365日更新する通称「ブロガー議員」。ステップファミリーで三児の父。
著書に「ギャル男でもわかる政治の話(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」、「東京都の闇を暴く(新潮社)」
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