次の世代に希望をつくる

「父」から自立できるか——維新とエディプスの課題

日々のこと

政治組織において「創設者の影」はしばしば重くのしかかります。日本維新の会にとって、その存在は言うまでもなく橋下徹氏です。

維新は橋下氏のカリスマと闘争心により誕生し、その精神的支柱のもとで大阪における改革を成し遂げてきました。

しかし、その強烈な「父なる存在」への依存が、今日の改革停滞と存在意義の希薄化をもたらしてはいないでしょうか。

■エディプス・コンプレックスの構図

フロイトは、幼児が父親に対して愛と憎悪の二重の感情を抱きながら成長する過程を「エディプス・コンプレックス」と呼びました。

子が父を乗り越えることで初めて自我を確立できるように、政治組織もまた「創設者」という父権的存在をどう乗り越えるかが成長の鍵となります。

維新の場合、橋下徹という「父」は今なお圧倒的な言説力を持ち、時に外部から党の行方に影響を与えています。

幹部や党員は、その「父」の影響力を前提に立ち回り、ときに甘え、ときに反発しながらも、決定的にはその支配から抜け出せていないように(少なくとも外部からは)見えるのです。

■幼児性としての「甘え」

橋下氏に頼り、結果として影響を受け続ける態度は、言い換えれば「幼児性の持続」です。

困難な局面に立つたびに「橋下さんならどう言うか」「橋下さんが動けば…」あるいは「橋下さんのせいで…」という言葉が飛び交う。

そこには、政治的自律を果たしたはずの組織が、なおも父に庇護を求める姿が映し出されています。

この幼児性は、政策決定の大胆さや政治闘争の覚悟を鈍らせ、結果として改革の停滞と存在意義の曖昧化を招いている。

つまり「父への甘え」が、成長すべき政党を足踏みさせているのです。

■「父殺し」とは何か

ここで避けて通れないのが、象徴的な意味での「父殺し(パトリサイド)」です。

もちろんこれは創設者を否定することではなく、その権威から精神的に自立するプロセスを意味します。

父を絶対的な参照点とし続ける限り、子は成熟できない。むしろ父を乗り越えることで、その言葉や理念を真に自らのものとして引き受けられるようになるのです。

ラカンは秩序や規範を社会に定着させる象徴的機能を「父の名(Nom-du-Père)」と表しました。

維新にとって橋下徹はまさに「父の名」であり、その言葉は党を方向づけてきました。

フロイトいわく、子が父を象徴的に「殺す」ことで初めて主体として自立できる。

ラカンいわく、外部から与えられた「父の名」を単に反復するのではなく、それを内面化し、自らの言葉で乗り越えることが成熟の条件となる。

維新が全国政党として真に成熟するには、橋下徹という「父」を永遠の参照点とするのではなく、その理念を受け継ぎつつも、主体的な言葉と政策を提示しなければなりません。

■自立のとき

維新はこれまで、「父」に導かれたことで大きな力を得てきたことは否定できない事実です。

しかし今後もその幼児的依存を続ければ、党の存在意義はますます薄れていくでしょう。

必要なのは、橋下徹という創設者を「尊敬すべき父」として記憶しながらも、精神的に「殺し」、自らの政策軸と主体性を確立することです。

社会保障制度改革や規制緩和による経済成長といった、現役世代のための本質的改革に真正面から挑み、橋下氏がいなくとも自律的に立ち得る政党へと脱皮する。

「父からの自立」なくして、維新が真に成熟した全国政党となる道はありません。

——橋下徹を精神的に「殺せるか」。

その問いこそが、維新の未来を決定づける試練であると、私は考えます。

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音喜多駿

おときた駿
参議院議員(東京都選挙区) 41歳
1983年東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ社員を経て、2013年東京都議会議員に(二期)。19年日本維新の会から公認を受けた参院選東京都選挙区で初当選。21年衆院選マニフェストづくりで中心的役割を担う。
三ツ星議員・特別表彰受賞(第201~203国会)
ネットを中心とした積極的な情報発信を行い、ブログを365日更新する通称「ブロガー議員」。ステップファミリーで三児の父。
著書に「ギャル男でもわかる政治の話(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」、「東京都の闇を暴く(新潮社)

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