次の世代に希望をつくる

右も左も「表現規制」に傾くのか?——コミケと表現の自由の現在地

日々のこと

本日は恒例、コミケ会場前で行われたAFEE(エンターテイメント表現の自由の会)主催の「表現の自由を守る」街頭演説会に参加してきました。


私はこの活動に、山田太郎参議院議員に次ぐ最古参の政治家として、10年以上前から携わってきました。当時はほんの数人で始まった試みが、いまや43名もの議員・政治家が名を連ねる規模にまで拡大していることを思うと、感慨もひとしおです。

しかし、その一方で——。

直近の選挙結果や社会状況を眺めると、これからはむしろ「表現の自由」や「多様性」にとって最も厳しい時代が訪れるのではないかという強い危機感を抱かざるをえません。

表現規制の担い手は変わってきた

かつて、表現規制といえば保守政治家の専売特許でした。石原都政下で強化された青少年健全育成条例、不健全図書の指定などは記憶に新しいところです。

当時は、いわゆるリベラル・左派の政治家が「表現の自由」を掲げてこれに対抗していました。

ところが、この10年で様相は一変しました。

かつて「味方」であったはずのリベラル勢力が、行き過ぎたフェミニズムやポリティカル・コレクトネスを旗印に、表現規制を率先して唱えるようになったのです。

そのため今度は、保守や右派の政治家が「表現の自由」を守る側に立ち、逆転した構図が続いてきました。

外国人問題と不寛容の空気

その状況下で、いま新たに「外国人問題」が急速に社会問題化しつつあります。

違法滞在者への対応や、無秩序な外国人労働者の受け入れには、私も厳格な姿勢を取るべきと考えています。

しかし同時に、「自分たちと異なる立場や文化を持つ人々」に対して、社会全体が過剰に厳しく、不寛容になっていることは気がかりです。

そして残念ながら、外国人に強硬姿勢を示す右派政治家ほど、表現規制にも積極的な傾向が見受けられるのです。

そうなると、「右派は表現の自由を守ってくれる」という近年の図式すら崩れ去りかねない。左も右も、自由を制限しようとする勢力に傾いていく可能性があります。

自由と多様性は「不快の共有」から生まれる

私は繰り返し述べてきました。多様性のある社会、(とりわけ表現が)自由な社会とは、誰もが快適に心地よく過ごせる社会ではありません。

むしろそれぞれが「不愉快なこと」「嫌な表現」にも我慢して、お互いに許容し合うことで初めて実現するものです。

だからこそ、それを維持することは容易ではありません。強い圧力や「多数派の正義」に抗してでも、自由を守る意志と行動が必要です。

今日、コミケに集まった皆さまとともに、私はこれからも戦い続けます。「表現の自由」と「多様性」を守るために、どうかこれからも力を貸してください。

※だからといって外国人問題を放置して良いということではありません。

外国人に対して過剰な警戒心や不満が生まれたのはこれまでの政治の無為無策が原因であって、早急かつ厳格に対処するべきだと改めて付言しておきます。

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音喜多駿

おときた駿
参議院議員(東京都選挙区) 41歳
1983年東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ社員を経て、2013年東京都議会議員に(二期)。19年日本維新の会から公認を受けた参院選東京都選挙区で初当選。21年衆院選マニフェストづくりで中心的役割を担う。
三ツ星議員・特別表彰受賞(第201~203国会)
ネットを中心とした積極的な情報発信を行い、ブログを365日更新する通称「ブロガー議員」。ステップファミリーで三児の父。
著書に「ギャル男でもわかる政治の話(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」、「東京都の闇を暴く(新潮社)

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