「民間保険と公的保険は違う」
社会保障制度を議論していると、よくこうした反論をいただきます。民間保険は自分で選ぶもの、公的保険はみんなで義務的に支え合うもの——確かに仕組みは違います。
でも私は、公的保険であっても“万が一に備える”という原則は忘れてはならないと考えます。
なぜなら、この原則を見失うと、社会保障はただ「利用できる人がたくさん得をする仕組み」に変質してしまい、支える現役世代だけがひたすら負担を強いられる“不公平な制度”に陥るからです。
さらに、「自分でできることも他人に支えてもらうのが当たり前」という依存型の社会を助長する危険性もあります。
社会保障は本来、「万が一」に備え、自立した生活を支えるためのものであり、同時に「自立が難しい人を守る最後のセーフティネット」です。
膨れ上がる医療費を現状のままで、社会全体で支え続ける余裕は、もう日本にはありません。
このままでは、制度が破綻するだけでなく、社会そのものが持つ健全な自助・共助・公助のバランスが崩れ、最後のセーフティネットとしての役割を果たすことができなくなります。
■ いまの公的保険は“万が一”ではなく“日常の便利ツール”になっている
しかし現状の我が国の社会保険の運用実態はどうでしょうか。
- 軽い風邪でもすぐ病院に行く(そして保険が適用される)
- 市販薬と同じ薬が漫然と保険処方される
- 65歳からほぼすべての人が年金を生活支援金として受け取れる
これでは、公的保険が「万が一の備え」ではなく「日常的な便利なサービス」と化してしまっています。
結果、医療費や年金負担は膨張し、現役世代の社会保険料は毎年上がり続ける悪循環。
このままでは制度が破綻し、将来世代は安心どころか負担だけを押し付けられることになります。
■ 社会保険はこう変えるべきだ
私は、公的保険制度を「本来あるべき姿」にできる限り近づけるべき・戻すべきだと考えています。
よって「万が一のリスクに備える」という部分以外は、負担を下記のように適正化していく必要があります。
◎医療保険
- 原則3割負担を維持(救済措置あり)
- ※救済措置の例:生活困窮者のみ1割負担(資産テスト・簡易認定で限定的に認める)
- 市販薬と同等の薬は原則自己負担とし、保険から除外(こちらも例外措置あり)
- 高額療養費制度における年齢区分・外来特例の撤廃
- 生活保護者のワンコイン負担、救急車の有料化
- 終末期医療のガイドライン測定と保険適用是非の検討
◎年金制度(一例、他にもパターンあり)
- 最低保障年金は税で支える
- 一方で受給開始年齢は引き上げて歳出を圧縮
- 現行の厚生年金の過剰な再分配(高所得層への高負担と上乗せ給付)は縮小し、負担と給付の公平性を回復。将来的には民営化・任意加入化も視野
■ 自己負担と公的支援の「線引き」が未来を救う
公的保険は「何でも守る」「何でも支える」ものではありません。
守るべきは「万が一に困ったとき」「生活が立ち行かなくなるとき」であり、制度そのものの持続可能性であるはずです。
軽い受診や市販で買える薬など、あるいは誰しもに訪れる「老後の生活それ自体」など、「万が一」ではない場合まですべてを社会保険で賄おうとすれば、制度が破綻に向かいます。
負担できるところまでは自分で負担し、どうしても困るときは皆で支え合う。
この前提をしっかり制度に落とし込むことが、社会保障を未来に残す、孫たちまで素晴らしい日本の医療サービス等を残す唯一の道だと私は信じています。
おときた駿
参議院議員(東京都選挙区) 41歳
1983年東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ社員を経て、2013年東京都議会議員に(二期)。19年日本維新の会から公認を受けた参院選東京都選挙区で初当選。21年衆院選マニフェストづくりで中心的役割を担う。
三ツ星議員・特別表彰受賞(第201~203国会)
ネットを中心とした積極的な情報発信を行い、ブログを365日更新する通称「ブロガー議員」。ステップファミリーで三児の父。
著書に「ギャル男でもわかる政治の話(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」、「東京都の闇を暴く(新潮社)」
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