「学生時代に、やっておいた方が良いことって何ですか?」
大学生によく尋ねられる、
定番の質問の一つです。月並みですが
「なんでもいいから、本気なれるものを見つけて打ち込むこと」
と答えています。
早稲田祭。
間違いなく人生で、一番本気になったもの。
1年に1度、必ずこの日がやってきて、
大隈講堂を見上げればいつだってあの時の気持ちに戻れる。
こんな最高の贅沢が許されるのは、
何かに本気になってきた人たちだけのご褒美なんだと思います。
公務と党務の合間をぬって参加させていただいた二日間。
今年も期待以上の祭りを魅せてくれました。
恒例の、エンディング後の「早稲田祭を語る夕べ」。
いつまでもこの日が、仲間たちと
美味いお酒が飲める日でありますように。
「なんでオトキタさんは、そんなに早稲田祭が好きなんですか?」
というのもよく聞かれますので、
おまけに閉鎖してしまった過去ブログに掲載した記事を転載しておきます。
いま読むと、こっ恥ずかしいんですけどね(苦笑)。
私が政治家になる決意を後押ししてくれたのは、
間違いなくこの早稲田祭の存在でもあります。
今年もそんな最高の祭りを見せてくれた早稲田祭運営スタッフ後輩たちと、
すべての早大生たちにありったけの感謝を!
(現役企画局長と2ショット。まだ学生に知り合いがいます!笑)
明るい未来と政治を創ることで、
皆さまに恩返しをすることが先輩の務めです。
負けないように、全力で走っていくぜ!!
それでは、また明日。
▼以下、おまけ▼
10年目の早稲田祭に、ありったけの感謝と誓いを。
2011年11月07日
今年もまた、この季節がやってきて。
当然のようにあの場所に丸2日間、滞在して。
早稲田祭2011。
新しく始まった早稲田祭2002から、ちょうど10回目の節目。
早稲田祭は1997年から5年間、
とある事件により大学の催事から消滅。
「もう一生、早稲田で学園祭が行われることはない」
本気でそう思われていた時代もあったそうです。
しかし当時の学生たちの、文字通り血の滲むような努力により、
「学生運営による学生のためのイベント」として、2002年から新しいスタートを切りました。
早稲田祭が新生した2002年にちょうど入学し、
2003年から運営に携われた自分は、とても幸運だったと思っている。
なので今日は節目にかこつけて、想い出話しなんかをば。
■
僕は大学への思い入れがとても強い。
「どうしてそんなに、早稲田(祭)が好きなんですか?」
と聞かれることもけっこうある。
端的に言えば、今の自分があるのは
早稲田祭と早稲田のおかげだから、だと思う。
行動的で社交的。
色んな団体に関わって、企画やイベントをバンバン主催する。
自信過剰でナルシシスト、自分大好き。
(おそらく)周りがオトキタという人間に持っているそんな印象は、
高校生の頃まで、実はまったくと言っていいほど自分にありませんでした。
進学校ではあったものの、勉強は苦手な落ちこぼれ。
行動力がないくせに口だけ達者で、周囲に嫌われて敵ばかり作る。
友達も限定的で少なく、イケてるグループには入れない。
何をやってもうまくいかないから、自分にも自信が持てない。
女の子にもモテない(これは今もか)。
高校生の頃からの知り合いなら、よーくご存知でしょう…。
学校からは謹慎処分くらうは、バイト先のヤンキーにはボコられるわで
本当に中学・高校の自分はダメ人間で、今でも嫌いです。←
そんな自分が変わるきっかけをくれたのが、
早稲田祭と早稲田祭運営スタッフでの毎日でした。
進学校で落ちこぼれていた自分が、
なんとか入れた憧れの早稲田大学。
「すごいやつばっかりなんだろう…」
「きっと落ちこぼれの自分なんて、太刀打ちできない連中なんだ。。」
そう思い込んで過ごしていた大学1年生。
でも大学2年から、早稲田祭運営スタッフを始めて。
生まれて始めてバイトではなく、いわゆる「仕事」をすることになって。
…あれ?俺って周りの人より仕事、できるんじゃない?
自分がやった方がスムーズだし、上手くまわってる…?
勘違いかもしれないけれど、そう感じたんです。
ちょっと衝撃でした。だって、自分なんてダメダメなんだと思ってたから。
それで、自分からどんどん仕事をするようになった。
自ら新しい提案をする。言いだしっぺになって企画を動かしてみる。
リーダーを買って出る。とりまとめる。率いる。
高校時代の自分からは考えられない行動をするうちに、
なぜだか周りには多くの人が集まるようになった。
自信も、どんどんついていった(余計なほどに)。
それからは、ご存知の通り。
自分を変えてくれたのは早稲田祭と早稲田祭運営スタッフで、
僕はそのことに一生感謝の気持ちをもち続けると思う。
…それが良かったのかどうかは置いておいて。
もし、早稲田祭があのままなかったら。
運営スタッフに入ることも、仲間たちと仕事をすることもなかったら。
あの祭を創り上げる興奮と絶頂感を、味わうことができなかったら。
僕は自分に自信の持てないまま、普通の企業に就職して、
何を目指すわけでもなく普通の人生を送っていただろう。
どこかに、大きなコンプレックスを抱えながら。
■
そんな特別な想いを抱く学園祭が、新生から今回で10周年。
三号館がなくなってしまったキャンパスや、大隈講堂前にステージがないことは
とても寂しいけれど、最初から最後まで全力で楽しませてもらいました。
初日の夜は、1週間前に自分で言い出した飲み会に
たくさんのOBたちが集まってくれて。
そんな仲間の一人が、こうつぶやいていた。
「僕らは今でもあの時感じた絶頂感に強烈な憧れを持って生きてる。
それ以上の絶頂感をいかに今の仕事に見出すのか。
それがぼくらの課題なんだと思います。」
そう、僕たちは毎年、祭の季節がくるとソワソワして、
そして祭に来るとえも言われぬ感傷と強い焦燥感を抱く。
「あの頃は良かった、戻りたい」
「あの頃の自分に、今の自分は勝っているのか」
「今の自分は、早稲田祭以上のものを創りだしているのか」
早稲田祭の想い出が、あまりにも美しすぎて。
あの時に登った頂が、あまりにも高すぎて。
でも実は、今年の早稲田祭で、僕はその感傷をあまり感じなかった。
5年間、彷徨い続けて、あの頃の引力にも引かれて、さんざん迷っていたけれど。
新しく登る頂を、ようやく見つけられたから。
これだと、確信できたから。
祭から、政(まつり)へ。
昔の人は政治を、まつりごと(政事)と呼んでいたそうです。
漢字は違くなるけれど、あの時全身全霊をかけて打ち込んだものと
きっと一生向き合って生きていく。
今度の頂は遥か遠くで、そして自分はまだその登山口にも立っていない。
前の頂は4年間で登ったけれど、今度は40年かかるかもしれない。
でも、諦めることは絶対にしないと思う。
あの頂から見た光景を、もう一度、この目で見たいから。
■
毎年刺激をくれる早稲田祭に、ありがとう。
運営してくれたスタッフ後輩諸兄に、お疲れ様。
2002年から早稲田祭がもう一度始まって、本当に良かった。
早稲田祭と早稲田祭運営スタッフと歩んでこれて、本当に良かった。
それが、復活でも新生でもどちらでもいい。
ただ愚直に思うのは、今度はこのタスキが二度と途切れぬことなく、
ずっとずっと続いていてくれること。
次の10年も、その次の20年も、早稲田祭とともに歩めたら。
自分が目指す頂の隣に、早稲田祭がいてくれたら。
僕は、そう願っています。
早稲田祭10周年の日に。
オトキタシュン拝
おときた駿
参議院議員(東京都選挙区) 41歳
1983年東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ社員を経て、2013年東京都議会議員に(二期)。19年日本維新の会から公認を受けた参院選東京都選挙区で初当選。21年衆院選マニフェストづくりで中心的役割を担う。
三ツ星議員・特別表彰受賞(第201~203国会)
ネットを中心とした積極的な情報発信を行い、ブログを365日更新する通称「ブロガー議員」。ステップファミリーで三児の父。
著書に「ギャル男でもわかる政治の話(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」、「東京都の闇を暴く(新潮社)」
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